記憶の断片にある。


祖父のお葬式の日だった。


まだわたしは小学一年か二年生で、祖父が亡くなったという事実にリアリティを感じていなかった。しかしそれはもうわたしの中では悲しい事実として認識してはいたので、少しだけ泣いたりもした。だけどそれは結局泣けない自分が罪深く思えたからしたのだと思う。
祖父が亡くなったその日、遺体が家に戻って来た。安らかな顔だね、と親戚中が口々に言った。その顔は微笑んでいてとても幸福なように見え、口の中の綿がひどくアンバランスに見えた。わたしは続々と親戚が現れるので、肩身が狭かった。なぜかというと、親戚の中に遊び相手がいなかったからだ。母は親戚の相手で忙しく、仕方なしに姉と遊んでいた。


ふと見ると、叔母がせわしく働いていた。叔母が目頭を押さえる行動を、そういえば見ていないなと思った。わたしはまだデリカシーのない子供だったので、暇潰しと好奇心で訊いてみた。


「おばちゃんは泣かないの?」
「んー、おばちゃんは病院で散々泣いたから。」


この一言がわたしの胸にずきりときた。薄く微笑みかけながら言われたため、さらに痛々しい。小学生に同情されるなど侮辱されるようで叔母は嫌がるかもしれないが、わたしは泣けない自分に腹が立ったのだった。
きちんとメリハリを付けて泣いたり泣かなかったりするのは、そうそうできることではない。今でも思う。自分の役割をきちんと把握してそれを遂行する叔母は格好良かった。無論叔母が泣いたのはその時だけではないだろうが、叔母の一言がすべてを物語っているような気がした。









(050308.)