休日。
思い立って外に干してあった洗濯物を取り込んだ。ふだんなら母親がやるのだけど、今日は休みの日だし、母親は出かけていていなかった。
洗濯物は家の庭に干してある。縦横無尽と言っても過言ではない感じで物干し竿がかかっていて、そこにバスタオルやら家族の服やらが干してある。
今日は晴れていて気持ちがよく、まだ四月というのに半袖のワンピースを着たわたしは、洗濯物を入れる籠を持って庭に出た。庭には桜草が咲き乱れていて、つつじも見受けられた。
あらかた洗濯物を取り込んだあと、縁側の近くの部屋でそれらを畳んだ。あらかた、というのはまだ乾いていない洗濯物があったためだ。たとえば、妹のちいさなジーパンとか。たとえば、姉の黒いスカートとか。たとえば、母が朝風呂で使ったバスタオルとか。
縁側の近くの部屋は、わたしが小学生の頃まで使っていた部屋だった。窓からは蜜柑の木が見えて、揚羽蝶が卵を産みによく止まっていたのを覚えている。電気を点ける必要がないくらい日差しがあふれているその部屋で、懐かしさを胸のなかいっぱいに吸い込みながら洗濯物を畳んだ。父の大きなシャツを畳みながら、よくこの部屋で姉と喧嘩して泣かされたことを思い出した。祖母の下着を畳みながら、いまは亡き祖父が庭にたくさんのチューリップを植えて愛でていたことを思い出した。妹のパジャマを畳みながら、この子はいつどんなひとと恋に落ちるのだろうかと考えた。姉のTシャツを畳みながら、すこしぼうっとしていた。母のタオルを畳んでいるとき、蠅が飛び回っていることに気付いた。自分の靴下を畳んでいるとき、ああ、こんなふうに洗濯物を畳むのが幸せなのだと、こころいっぱいに感じた。いつかわたしにも新たな家族が出来て、自分の娘がこんなふうに洗濯物を畳んでくれたら、それ以上の幸せはないなあと、洗濯物を畳み終わってしみじみと思った。









(050308.)