銭湯の屋根から突き出た煙突を指差して、登るひとなんているのかな。すいは不意に言った。すいという名前は不思議だね、とおとなになったつもりで言ってみたあたしたちの始まりは、確かながいながい冬の終わりだったと思う。耳当てをして鼻を赤く染めたすいは怪訝そうにあたしの眼を見て、さき、とあたしの名前を呼んだ。なに。さき。なあに。さきー。すい。さき。すい。




すいはちいさい。笑い方もちいさい。くすくすと笑う。手をつなぐのがすき。あたしもすき。歌いながら歩く。物好きが登るんだよ。あたしは手をぶらぶらさせて銭湯から突き出た煙突を見る。すいがあたしの手を取る。さきっちょ。あたしの顔を見て呼ぶ。さきちゃんは、さきっちょ。




じゃあ、すいは、すいっちょ。なんだか秋に響く虫の鳴き声みたい。すいっちょ。さきっちょ。すいっちょ。さきっちょ。あたしたちはこうして、おとなにこわされる存在をお互い確認し合う。まだこどもだよね。うん。こどもとおとなの境界線を引くのはおとなの役目。だけどだからあたしたちはこうして逆にあたしたちから引いている。すいはくすくすと笑う。すいは、消えてしまいそうなその笑い方を、おとなになってからもし続けるのかな。なんだか神様のことを考えるみたいに不思議な気分になった。




さきなんてよくある名前だよね、すい。消えちゃいそう。すいはそのおおきくてきれいな眼であたしの眼を見る。すいは眼がおおきいから、きっといろんなことが見えてる。さき、わたし、なまえすき。わたし、さきがすき。ぎゅっと手を握り締めたすいのおおきな眼には、うそがないように思えた。すい、こんど銭湯に行こうね。歩き出す。さきっちょにいるあたし。曇った空。うん。すいが言う。くすくす笑う。さきっちょ。すいっちょ。さきっちょ。すいっちょ。おまじない。さきっちょ。すいっちょ。さきっちょ。確かめ合うちいさなあたしたちの世界。すいっちょー。さきっちょー。すいっちょっ。さきっちょっ。すいっちょ。さきっちょ。すいっちょ。さきっちょ。すい。さき。すい。さき。すい。さき。いなくならないでね、すい。だいじょうぶだよ、さき。




(062407.)