家を出たときは小振りの雨だった。 グレーのパーカーに薄い桃色のひらひらスカート、下にはスパッツとパンプスを履いて出かけた。土曜日は家にこもっていたので、今日こそは外に出たいと思って、重い身体を引き摺って歩いた。外に出たいとは思っていたけどだるかった。周りの殆どのひとは傘を差していたけれど、わたしは傘をぐるぐる回していた(もちろん閉じたままで)。それからなんとなく恥ずかしくなって回すのを止めた。でも手にぶらさげたらぶらさげたで重く感じてしまったので、今度は傘をずるずると引き摺った。五月蝿かった。最終的に、やっぱり腕にぶらさげることになった。 人通りの少ない小道から、車のびゅんびゅん通る道路の脇の歩道へ出る。 わたしは五月蝿いのがきらいだ。でもひとと一緒に居るときは沈黙がだいきらいだ。今日はひとりだから静かな方がいい。なのに道路は五月蝿い。絶え間無く五月蝿いのかと思って少し苛々したけれど、意外に赤信号になると道路は静寂が支配する。そのときの瞬間がわたしはたまらなくすき。わたしは常に耳にイヤホンをかけて音楽を聴いているのだけれど、その瞬間に雑音に消えていた歌声がひゅっと聴こえる。それがすき。ただ、その瞬間というものは少ないから(それ意外は五月蝿いから)、わたしはやっぱり嫌になって、脇の小道にそれた。 わたしはしだいに上機嫌になっていった。 音楽に合わせて飛んだり跳ねたり、何故だか嬉しくなってひとりでくすくす笑ったりもした。そのうち見慣れた公園が見えて、いつもは通り過ぎるのに今日は入ってみよう、という気になって、雨で誰も居ない公園にひとり足を踏み入れた。 傘が土に穴を開ける。 ああ、パンプスが汚れる。そんなことはもう如何でも良くなっていた。びっくりするくらい今のわたしは本能的に動いている。触れてみたいと思うものには構わず触れた(たとえば赤紫の綺麗な紫陽花とか、錆付いた滑り台とか)。それはとても楽しかった。いつもの陰鬱なわたしはどこへやら、すごく楽しかった。 でもやっぱりわたしはひとりだった。 一瞬、ほんの一瞬寂しさがわたしの脳裏をかすめた。寂しい?なにそれ。最初は通り過ぎようとした感情が、次第にふつふつと湧きあがってくる。駄目なんだ、一回そう思ってしまうと寂しさは大きくなっていってしまう。――いや。わたしはピンと来る。違う、もとからそれにわたしは包まれていたんだ。それでも必死に気付かぬように気付かぬようにと楽しいやら嬉しいやらで誤魔化していたんだ。 ああ、さびしい。 わたしは近くのベンチに座った。とはいえベンチは濡れているので、その上にしゃがんだだけだ。スカートがベンチにつかない様にと最初は気を遣っていたのだが、だんだん面倒になってしまい、ついには如何でもよくなった。耳からイヤホンを外す。雨粒が葉に当たる音がしている。 「紗希?こんなところでなにしてるんだよ」 わたしは肩をびくっと震わせて横を見る。傘をこっちに傾けながらわたしの顔を覗きこんでくる。いつの間にか雨は大降りになっている。わたしはずぶ濡れだ。なんか振られた女みたいだなぁ。わたしは健の心配そうな顔を見てふきだしてしまった。なんで健がここにいるの。なんで健はわたしに声を掛けてくれたの。なんで健はそんなにやさしいの。訊こうと思ったことは全部健の顔に流されてしまった。わたしは笑いながら泣いていた。嬉しかったのか悲しかったのかはよくわからない。とにかく泣いていた。健に気付かれないようにそうっと。 「なんでいきなり笑うんだよ」 「なんでもないよう」 「つかおまえ、びしょ濡れじゃん、大丈夫?」 「ね、なんで濡れてんだろう、わたし」 なんでじゃねえよ、と健が言う。 そうだね、とわたしは返す。 わたしはいまだにくすくす笑いながら、健の手を取った。びっくりしている健の顔が面白くて、また笑った。そうしたら健も今度は笑った。とにかく楽しかった。健がわたしの手を握った。 わたしはわざと、傘を公園に忘れていった。 だって、ぐるぐる回すのも、引き摺るのも、ぶらさげるのもいやだったから。 だって、ひとつで十分だったから。 (061906.) |